いやー!

ケリーさんのライブに行きたくて、行きたくて、ケリーさんおろかスマコンも、県外に出向く予定すら今後大学受かるまでは(オープンキャンパスの折は除いて)皆無だというのに、もう自分のアホ!としか言えません。なんでそんなに欲深いんだ自分!!我慢しろ!頑張ったところできっとチケは取れないわよ。と、言い聞かせるのですが、哀しい性分ですかね。やっぱり行きたいよー会いたいよー狡いよ関東人狡いよ大人〜と負け犬の遠吠えをしてみる。
いえいえ。潔く、見守りたいとは思っていますよ。見守ります。お怪我なさらないように、上手くいくように、祈っています。応援してます。デビルの私はこれからもわーわー駄々こねるんでしょうけれど。頑張れケリー大好きだよ!!!!

追:昨夜、今日のスピーチの緊張と興奮で寝付けなかった時にぼくの靴音を開いて思いました、「彼は、私が欲しい言葉をくれる」と。律子さんもそうでした。
私が思っている通りの葛藤や感情を、私が憧れる通りの哲学を語っていらっしゃる。答えが出ているものから出ないものまで、私のようにもやもやした気持ちではなくしっかりと言葉として表現している。それがあまりにも的を射ている。不思議と思っていることや不条理だと思うこと、諸々が、本当に心から共感出来る。だからかなぁ、この人となら分かり合える気がする、のは。とても身近に感じるのは。
過去で一番悩んだどん底の涙涙の日々に私が見た律子さんという名の光は、『どうしてわたしは変わらなくてはいけないのか』という疑問なのか抵抗なのかわからないけれど、そんな意固地になっていたような状況から脱出させてくれました。当時は周りの言う言葉が受け入れられなかった。どうして気が合わない人とも付き合って行かなくてはいけないのか、どうして傷つけられた相手と、『嫌い』と思う人と仲直りしなくてはいけないのか。自分は間違っていないと思うのに、どうして責められなくてはいけないのか、否定されなくてはいけないのか。でも、彼女の声を聞いて気付いたのです。わたし自身も十分相手のことを傷つけたということとを。わたし自身も十分間違っていたと言うことを。そして、『なげないで生きていこう』と自然と思えたのです。だからといってすぐに相手を許せたわけではないし、自分でも何が正しいのかわかりませんでした。納得もしていませんでした。ただ、今までの自分のままでは駄目、立ち止まっていては駄目、とにかく変わらなくては、『変わっていけるはず』と、とにかく周りの声に耳を傾けて行動しようとしました。その行動の意味がわかったのも、今のようにものの見方が変わったのもそれからもっと先のことです。ものの見方に正しいも間違いもないけれど、その都度わたしがbestと思う付き合い方をしていきたい。今もわたしは誰かを傷つけているかもしれません。時々思います。特に大切な人には甘えが出てしまうのかもしれない。だけどこれからも、少しずつ変わっていきましょう。まだ旅の途中ですから。わたしには友達がいる、家族がいる、律子さんがいる、剛さんがいる、助けてくれる人がいる。そしてこの文章を読んでくれる人がいる。ありがとうございます。