友達Aさんとのこと。

先日のスピーチコンテストで、私は友達の大切さについて、付き合い方について、話させてもらいました。スピーチなので英語にする際の多少の脚色はありますが、でも、思っている『理想』を伝えました。
ですがだからといって、私がそれを実行出来るかと言ったら難しいところで、やはりそれによって傷つくのは怖いし嫌だし、律子さんが言ったように『譲れぬことを守る』のは『なかなか大変』なのだと思います。それをふまえた上で彼女のように

でも 選んだことはみんな 自分で決めてきたこと
信じよう 全てには意味があるはずだから
(Nowadaysより歌詞一部引用)

と、そうやって頑張れたらなんて素敵だろうとは思うけれど。
人と分かり合うというのは本当に難しくて根気や労力がいることだと思います。
最近よくお話しする友達に対して、気付いてくれたらいいのにと思う一方、私も気付かなきゃ行けない部分があるのかもしれない、と思います。
だけどそのうち逃げてしまっている私もいる。伝わらない悲しさや、手を差し伸べたのに振り解かれた時の痛み等々、思い出すと震えてしまう。臆病なのですよね。
そしてそんなときに心の奥から聞こえる声や言葉は、律子さんのものだったり、ケリーさんのものだったり、あるいはめぐさんのものだったり中居さんのものだったり。奮い立たせて、頑張って敗れて凹んで帰るのは友達や親の懐の中。安心出来る家の中の自分の部屋のベッドの上で、みんなの声に励まされて逃げなかった自分を称えて痛みに打ち拉がれながら涙する。
そんなことをやってきました。
みんなの存在が、わたしには必要なのだと思います。